青春時代のGood Life

伊勢志摩への小学校の修学旅行

syougakkou

学校6年生の時の修学旅行での集団入浴シーン。芋の子を洗う状態とはこのこと。大変楽しい思い出のひとつ
Good Lifeのワ ンシーン

中学2年生の先生と仲間たちの同窓会

 左端が私。クラスの美人?たちと藪の中で記念写真。しかし純情そうやなあ〜みんな。水筒をぶら下げてり弁当をナップサックにいれたり、当時の定番。遊びに行くのに学生服はないやろ。女の子がはいてるのは、もしかしてトレパン?もはや死語のトレーニングパンツです。

右から2番目の彼女、印象に残ってるなあ。3年の時に名古屋の方に転校して行ったっけ。寂しかったことを覚えています。いいばあちゃんになっていることでしょう。できることならもう一度あいたいなあ。

ワルガキ3人衆じゃないぜ。真ん中が私、右は現在不動産屋の社長。左は卒業以来全体の同窓会にも出席したことがない。どうしてますか。もしこのサイトを見ることがあったら、「お問い合わせ」から連絡ください。

後列右端が、I先生。数学担当で独身(当時)黒板で使う三角定規やらを武器にしてよく殴られた。女の子達からどう思われていたのか疑問。私にとってはいい先生。可愛がっていただきました。ハイ。

1971年春 中国地方1周ツーリング 1971年3月24日〜31日

休みを利用して学友のK君と、山陰、山陽地方を7泊8日のツーリングの旅に出た。K君はホンダ250cc, 私はカワサキ90cc。ハプニング続きの旅になった。

大阪を出発し国道9号線を西へ、目指すは鳥取砂丘。しかし、9号線で白バイに止められスピード違反切符。最初からついていないなあ。あんまり空いていたのでちょっと出しすぎたかなあ。ありがたい警告を受けたと思い、気を取り直して砂丘では思い切り開放感を味わった。初日の宿は浜坂ユースホステル。

浜坂ユースホステルを出発し、大山に向かう。中腹にある大山ユースホステルまでの道はダラダラとした登り坂。90ccのカワサキくんは、バテ気味。何度かエンジンを冷却するため休憩し、やっとの思いでユースホステルのたどり着いた。

大山からさらに西へ、山口県に入り鍾乳洞を見学。鍾乳洞と言えば秋吉台を、イメージするが、地元のガイドさんの勧めもあり余りメジャーではない大正洞を見学。あとは広島YHまで走った。

広島から岩国、尾道と山陽道を走る。たくさんの友達に出会えたが、現在交流が続いている人はいない。旅で出会う友は一時の友なのか。みなさんどうしてますか?このサイトを見て懐かしく思われた方はぜひご連絡ください。お待ちしています。

1971 年夏(大学3年)四国へキャンプ

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歳の夏、某女子大の8人の女の子と山陰の海岸へキャンプ。男性陣も8人で計16人。大阪駅を夜行の蒸気機関車で出発。スシ詰め状態で翌朝早く駅に到着。出口からは出ることができなくて、全員窓から脱出。3泊4日の楽しくて、厳しいキャンプ生活。帰阪後個人的な付き合いが何組かできたが、ゴールインしたカップルがあったことは聞いていない。

1973年夏休み、東日本一周バイクソロツーリング

学4年の夏、就職も決まったし、兼ねてから計画していた北海道へのバイクツーリングを決行。資金はアルバイトで貯めた数万円と、アルバイトを辞める時に餞別として貰った数万円。確か7−8万円で40日間の旅費、宿泊費をまかなった。40年前は安かったなあ。

大阪を出発し日本海方面へ国道8号線をひた走る。当時は高速道路は東名、名神ぐらいしかなかった。一般国道をゆっくり街道を眺めながら走るのもいいものです。

石川県から富山県へ入り黒4ダムまで、快適なツーリング!!走っているときは風が心地よいが信号で止まると真夏のむっとした風がほほをなでた。このころから立ち止まるところでさまざまな友と出会う。みんなどうしてるだろう?

太平洋側(三陸海岸)へ向かう前に新潟のいとこの家で3日ほどお世話になりました。いとこのM子をバイクの後ろに乗せて笹川流の海水浴場へ・・・。彼女のビキニ姿を見るのは初めてだけれどなかなか似合っていた。その後は十数年に一度くらいしか会わないけれど、元気にしているようだ。すでに還暦か?若い時の写真は絶対必要だ。
福島県から岩手県そして青森十和田湖を目指して快走したのだが、東北大地震で太平洋側の町は壊滅状態。リアス式の風光明美なあの海岸線が再び復活して、また訪れることができるようになるのは一体いつになるのでしょう。

青森県の斧の形をした岬、大間崎から北海道函館までフェリーに乗って渡った。大間は今や幻のまぐろで有名なあの大間崎ですよ。当時のフェリー料金は350ccのバイクを乗せてもらって390円だ。物価が安かった(給料も安かった)
とうとう北海道まで走って来た。函館に着くや否や、雨が降ってきて市電のレールにタイヤを乗り上げたものだからすってんころりん。重たいバイクを起こそうとしたとき、大変な美人が乗った車が近寄ってきて「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれた。この一言で北海道の人は親切や、と脳にインプットされてしまい、会う人がみんないい人に見えてしまう。これは一人旅で誰でもが感じることなのだそうで、一人旅を勧める理由の一つでもあります。函館から層雲峡、網走へ、道央の国道を一直線。網走では京都からきている3人組の女の子と知り合い、楽しい日々を過ごすことができた。

学生時代のこのツーリングは自分を試すためでもあり、一人旅を40日間もできるかという可能性の挑戦でもあったが、一人で旅をすれば自然と人恋しくなり、積極的に人に話しかけるようになり、性格をも変えてしまいそうな気がした。若い時の一人旅は絶対にお勧めだけれど、最近の大学生はあんまり一人で旅をしないなあ。一人で携帯に向かっている姿はよく見るけれど。時代は変わる、という事なのかも。

1973年 アルバイト(A新聞社)の友人たちと志賀高原へ

学時代はアルバイトに明け暮れた。授業料を稼ぐためと、小遣いを稼ぐためと。A新聞社の編集局での仕事は一石二鳥だった。たくさんの学生が小デスクとして、朝夕刊の編集作業を手伝った。もちろん泊まりの仕事もこなした。そんなバイト連中が集まって志賀高原へのスキーを計画、楽しいスキー旅行となった。当時の友人たちの顔は記憶しているが、さて名前を思い出さない。コンピューター関係に就職したK君の名前を唯一覚えているという情けなさ。このサイトを見て、懐かしく思う人がいたら連絡メールで便りをください。お待ちしています。

1977年 結婚式 大阪厚生年金会館

8年の交際期間を経て、とうとう結婚に!

事前の打ち合わせがエスカレートして、新郎新婦で歌を歌うことになった。チェリッシュの「若草の髪飾り」。若いってことは無謀やったんやなあ

会社の社長、部長、課長とスピーチは続きますが、正直退屈・・・